先日、東日本のジーンズ業界に長く携わってきた方とお話する機会があった。
これまで西日本の方と話す機会は多かったのだが新鮮でした。
非常に興味深い内容だったので紹介します。
あくまでその方の主観によるところも大きいので参考までに。
東と西の違いについて。
西は学生服製造という恵まれたバックボーンを元に
1950年頃、大石貿易がリーバイ等の輸入に加えて、ジーンズを作り出したのが始まりである。
それがキャントンであり、そのジーンズの製造を請負ったのがマルオ被服(現ビッ○ジョン)だったのはあまりにも有名な話である。
洗いの起源に関しても、アメリカから輸入されるジーンズがリジッドで硬すぎるところからそれを洗って売り出したのが洗い加工の始まりといわれているが、染色工場が多い立地をいかし、染色工場にその洗いを依頼した。
やがて、西日本のNB(ビッ○ジョンやボブ○ン)は快進撃をすることになる。
あまりにも、売れることから、その名前にあやかって「始めにBがつき、最後にNがつく」ブランドが当時急増したらしい。
この勢いは1970年代後半まで続くことになる。
一方、東のジーンズ(エドウィンやリーバイ、特にエドウィン)は、小売業から始まっている。
洗いの起源に関しても、硬すぎるアメリカデニムを柔らかくするための目的は変わらないが、依頼したところは大きく異なる。
西が、染色工場に依頼した一方、東はランドリーに依頼をすることになる。
東日本で現在有名な加工場は、元々はランドリーだったというから興味深い。
西のメーカーが快進撃を続ける中、東のメーカーはずっと日陰を歩いてきた。
当時の話を聞くと、小売業との商談すらさせてもらえなかったという。
通常の商談は、西のメーカー。
そこで扱われるアイテムが決まってしまう。
いわゆる夜の接待商談でしか、東のメーカーは相手にされなかった。
そして、少しだけお店に置いてもらう。
そんな時代だったという。
そこで疑問が生まれる。
「当時はそうだったかもしれないが、現在では、ビッ○ジョンやボブ○ンを知る人間のほうが少なくなってしまった。
ジーンズといえば、リーバイ、エドウィンと感じる方も多いはず。
いつ東西の逆転が起きたのか?」
その方は思い出すように
「80年代のペダルプッシャーが流行った時期に、少し東のメーカー、特にエドウィンが頭一歩出た感じがあった」
続いてこう話した。
「それまで西のメーカーは、出すものすべてが売れ、失敗をしたことが無かった。
時代の変革期に過去の成功を捨てきれなかった。」
当時の話をもう少し詳しく話すと
80年代、ジーンズはアメリカからヨーロッパへとトレンドが急激に移った時代だった。
当時、ヨーロッパではペダルプッシャーが爆発的に売れ、日本にも入ってくる。
西側のメーカーは、そのプライドからなのか、ペダルプッシャーテイストは仕掛けたがそこに過去の成功からの流れを受け継いだままオリジナリティーを加えて商品化をしたという。
そのタイミングで、東のメーカーは、当時ヨーロッパで流行っているものをそのまま低価格で商品化した。
氏は、そのタイミングで逆転したという。
その一時の些細な決断が明暗を分けた。
成功続きで、その成功を忘れることが出来なかった西。
日陰を歩いてきて、守るものが無かった東。
その差が、30年以上たったいまでも、今日の日本のジーンズ業界の勢力図に現れている。
その後、東のメーカーのうまかったのは、基礎をしっかりと作ったこと。
エドウィンといえば503。
リーバイといえば501。
それまで、イケイケドンドンで、基礎を大切にしなかった西。
その反省を踏まえ、基礎をきっちりと東は確立したのだった。
ここまでが、氏の話だった。
話して思うこと。
「今、日本のジーンズ業界は変革期では?」
デニムがダウントレンドになって長い。
それまで調子の良かった東のメーカーも軒並み落ち込んでいる。
西にいたってはジーンズ産業自体の危機を向かえている。
ジーンズ業界自体がメチャクチャになり
古い慣習が希薄になっている今、
新しいことが受け入れられる土壌が出来つつある。
ジーンズ業界の皆さん、チャンスです!
(と私は思います。)